ひとり旅(旅路の果てで野垂れ死に)
ひとり旅(旅路の果てで野垂れ死に)
「人生は旅そのもの」
人生のエピローグに一人旅を始めることにしました。
来年には「古代まれなる(古希)」70才になります。
2019年 9月10日夕方から旅は始まります。
今回は、ベトナム ホーチミンを中心にビザが不要な15日間の予定です。
皆さん決して私の真似をしないでください。
一応、私には下地があるのでこのような無謀なことができます。
「泣きながら1人で生まれて、泣きながら1人で死んでいく」
「人は生まれる時代、生まれる場所、生んでくれる親」を選べない。
今から45年から50年前にかけて一人旅を二度体験しております。
1回目は、約3ヶ月かけて12カ国
イギリス、スコットランド、フランス、ベルギー、オランダ、デンマーク、ドイツ、イタリア、モナコ、スペイン、スイス、オーストリア
2回目は、アメリカ本土一周の旅、ロサンゼルスからサンフランシスコ、カナダの国境沿いにナイアガラの滝、シカゴ、ニューヨーク、ワシントンDC、ニューオリンズ、メキシコ国境沿いにエルパソ、グランドキャニオン、ラスベガスなどなど約10,000キロの旅。
今思い起こせば、旅先でのトラブルだけが面白おかしく脳みそをよぎります。
最初に一人旅の大変さを語りたいと思います。
1番に思い浮かぶのは食事や喫茶店に入ってからのトイレです。
大きな荷物を持ってお店に入ってトイレに行くのは盗難の恐れがあるのでとても困ります。
2人で旅をすれば相方が荷物を見ていてくれます。
荷物を持ってトイレに入れば不審者、食い逃げ
じゃないかとか、いろんな疑念を店員に抱かれてしまうでしょう。
一人旅なので頻繁に移動を繰り返します。
一泊二日の移動はとても大変です。
夕刻ホテルにチェックインし翌朝の9時ごろにはチェックアウトの支度をしなければなりません。
くたびれた体にチェックアウト後の行動予定を前日に立てておかないといけません。
これが想像以上に大変なことなのです。
次号へ
2019年8月29日(木曜)NO.2
いよいよ出発まで2週間を切りました。
出発の45日前に発売されるチケットで行くと格安で行けます。
今はチケットといってもEチケットと言ってインターネットで買いスマートフォンを提示して出国審査を受けるようです。
羽田空港まで1時間位の場所に住んでおりますが
深夜の01時25分発の飛行機で出発するため前日の
夜9時ごろ家を出る予定でおります。
私は、ヘビースモーカーなため約5時間の旅、禁煙に耐えられるか、それが大変心配です。
羽田空港前には休憩所があるのでそこで仮眠をとります。
チェックインすると今では免税店で買い物ができます(昔は帰りの免税店しかありませんでした)。
そこでタバコを買います。私の吸っているタバコは450円ですが免税店では260円で買えるはずです。
ベトナムは物価が日本の約4分の1です
例えば自販機で日本で水を購入すると約100円ですが
ベトナムのホーチミンではサークルKと言うコンビニで 25円( 5万ドン)で買えます。
ホーチミン市内で洋モク(アメリカのタバコ)を買うとなんと150円位で買えるのです。
免税店よりはるかに安いのです。
これはびっくりです!
実は今回のホーチミン行きは去年の夏と今年のテト
次号へ
2019年5月10日夜9時過ぎ羽田羽田空港国際ロビーに到着
ラウンジに向かいカードを見せて休憩室に、早速喫煙ルームを探してタバコを出しました
後から入ってきた女性がバッグをしきりにあさりタバコを探していました。
なかなか見つからない様子なので私の吸っているタバコ1本差し上げました。
それをきっかけに会話が弾みました。
Sさんと名乗り此れからバンコックに向かうとの事。
毎月一回のペースで仕入れに通っているとの事。
彼女はバイリンガルどころか6ケ国を操るそうです。
それじゃあ「トリイアンガル」ですねと答えると違うわよ。「マルチアンガルよ!」と、言い換えました。(どうやら向こう気の強い女だな)
さて私と言えばそんなことにかまってかけてられません飛行機が出る前にベトナムSIMカードに変えなければベトナムでは周波数が違うのでスマートフォンは使えませんそこで一生懸命操作を繰り返していたらIDとパスワードを入力するように迫られたので
言い残したが一向にパスワードとIDが違いますの表示
何度も何度も繰り返してやってるうちに録画かロックてしまいました。さて大変ベトナムに行って家族と安否確認ができないことになります。
(しょうがねぇなぁ昔45年も前に海外旅行に行った時はスマートフォンなんかなかったんだから使えなくてもいいよ) しかし、また考え直すとベトナムでは文字も読めません言葉も通じませんベトナム人は英語がほとんどできませんもちろん私もできません)
Googleマップでホテルを探すこともできません頭が真っ青になりました。
ヨーロッパに行った時自立の道は
これではなってフランス領に入ってパリに向かう列車の中で六角5辞典を眺めていてその時窓の縁におっぱいを発信してこれから他の外国語の言葉を使わないといけない時に他の何も会話しよう忘れたことを思い出しました)
その時も待っちゃおうになったのを思い出しました。
(俺って一事が万事このパタンだな)